九寸名古屋帯

「名古屋帯」の名称は、大正六、七年頃に服装改良運動の一環として、名古屋女子学校の創設者の越原春子女史が考案したためにその名があるのだと言われます。ただし、越原女史の考え出したのは、胴の部分を半幅にしてたれの部分を並幅に仕立てるいわゆる「名古屋仕立て」のことであって、現在使われている一重太鼓の帯を指した帯ではなかったらしいです。現在の長さの名古屋帯になったのは、恐らく昭和になって名古屋帯が本当に普及し出した頃からではないでしょうか。

ちなみに、帯の歴史を紐解くと同音で「名護屋帯」というものもありますが、これは、豊臣秀吉が、朝鮮に出兵した文禄の役の時に、大陸出兵の拠点であった備前(佐賀県)の名護屋に朝鮮からもたらされた漢組の技術で創った帯のことです。唐糸を組んで縄に似ている両端に房を付けたもので、縄帯とも呼ばれたといわれます。

名古屋帯とは、一重太鼓に結ぶ帯のことで、九寸名古屋帯とは、仕立て前の帯巾が9寸の巾の帯のことです。裏に芯ををはって両脇を5分づつ折り込んで仕立てるため出来上がり八寸になります。

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